大体にしてこのブログはつまらない。言いたかないがつまらない。
大体、ブログの使い方が一般的過ぎる。
所定の枠内に文字をだらだらと書き込んでゆくだけだ。
実にけしからん。
そもそも、所詮個人のブログである。たかが全入時代の文系大学生である。
そして、成績優秀と言うわけでもなく、むしろ悪い方である。言いたかないが悪い方である。
夢や活力もなく、世の中に流されっぱなし。
人間関係下手は本当に危険レベルにあり、それはまるで脳の実験相手にされた猿である。
蛇も食ってしまう。
うきー
今、大泉洋が志ん朝(しんちょう)の噺を聞きまくってる時期があったと言う。
流石だぜ大泉。だが俺は神奈川テレビが見れぬのだよ!!
大泉洋の友達になりたいなというより、自分が大泉洋になりたい。
志ん朝のCD欲しいなあ。
話が繋がってないよ
あーあとねカポックの新芽、随分伸びてきました。
なんかパワーアップしているみたいでいいな。
葉の直径は4~6cmで止まるようだ。
今生えてる新芽は直径1cmほどなのでまだまだ伸びる筈だ。
このまま、緑あふれる家にしたいなあ。
で、つまらないブログ。ゲーム形式に出来たら面白いだろうな。
あと、フラクタルとか。
この文章のところに何か操作を加えると、動いたり変化が生じるようにする。
それフラッシュとかじゃないか。
最近、こんなやつを見た。
男。もじもじと話し、髪型が坊主なのは良いが、虎刈り。明らかに雑然としている。
なぜかうろうろと意味もなく、くねくねと動いている。
極めつけかもしれないが、ズボンの裾が長くてだらだらとし、
その裾がボロボロになっているのは構わないが、
その長い裾をつま先まで包んで、おそらく足の親指と人差し指でつかんでいるんだろう。
体躯は案外でかい。174,5cmのさらに上で、180cm前後だろう。
痩せ気味で、口を突き出すように喋る。
そんな奴が、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ぐねんぐねんと歩くのだ。
何気なく振舞っているお前達のほうが分からない。明らかに気持ち悪いだろう。
きりっとしていない。一つ年下だった。
別の男。雰囲気はノビタみたい、と近くにいた人が言った、そりゃあんまりだ。
確かに、内気で話すのが下手で誤解を与えやすそうな雰囲気を漂わせている。
でもノビタってそんな感じだっけ?
このタイプはちょっとひっくり返るだけで面白いキャラクターになるんだよな。
と、その彼の萌芽を静かにゆっくり見出していた。
つまり萌えである。
彼女はさらに兄弟にそっくりと言った。そりゃあんまりだと思いつつ、
「あ、その仕草(兄に)そっくり」と彼女が言うので、
ああ、やはり人間にはタイプみたいなものがあるんだなあと思う。
で、その人は活発な雰囲気。好々爺の女性バージョン、なんと言うか知らん。好々婆でいいのか?
それをそのまま若くしたような感じだ。別にその人が老けているという訳ではなく、
肌は年相応。だが、なんとなくおばあちゃん。良い人の雰囲気を漂わせている。
ノビタみたいなんて言っても、さらりとその男にも笑顔を誘うのだから、あるいは大物なのかもしれない。
そして今書き込んでいる俺、美空ひばりを聞きながら。
惚れた心に火をつけて無二の命を燃やす奴~
人生は本当はもっと単純なはずなのに
なんで僕はこんなにこんがらがって遠回りして嘘ついて生きているんだよそんなの嫌だ。
人間は3つの色、赤青緑で世界を見ている。って脳の本を立ち読みした。
人間的視点から世界を作り上げているのだとかそうでないとか。
赤外線や紫外線、電波、はては重力の見える生活だけじゃなくてそんな生物になってみたいわ。
電波とか見えたら、壁の向こう側だって見えるんだぜ。
いいSFないかなあ。
棚に絵かモノか、とにかく何かを置き、花を活け、線香や食べ物などの捧げものをし、
頭を下げたり、手を合わせたりする一連の行動が様式化されている。
そういうのが宗教的なものだと最近思う。仏壇とか。
そこには知識の体系といったものは大して重要ではなく、いや、必要ないかな。
行動様式を継続的にとれば宗教になりえると思う。
これ、京極夏彦とか色々な考えが混ざっているな。
だからどうしたというものだが。しかし何でそんな事するんだろうねぇ。わざわざ。
エキサイトの辞書によると、
(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。
なるほど、そもそも理解できなくて良いわけね。理屈は後からいくらでもこねられると。
せいぜい今では葬式と初詣くらいだな。
あれ、そうするとただ光ってる星に意味付けしている星座も宗教になるのか?
神話とか伝説も?
じゃあ、フィクションも?思い込みも?
と、混乱してきたよ。
そういうのって案外簡単に作れちゃうんじゃないかと思うと不思議。
みかん箱の上に風呂敷かけて、そこれへんの、割れたドンブリを
毎朝拝んでいたらドンブリ様になるんじゃないか?
毎日うまいメシ食わせてくれてありがとうございますとか心の中で唱えるんだよ。
それをはたから見ていると、何やっているんだって思うだろうね。
大したこと唱えてないのに。
それでどんぶり様のおかげで腹いっぱい飯が食えるだ。ありがてえ、と言うと、
なになに?お前さんはこのぶっちゃけた古めかしいどんぶりに食わせてもらっているって言うのかい?
そうだ。
何言ってんだ。あんた働いてるじゃないか。
働けるのはどんぶり様のお陰だ。
どんぶり様が何してくれたって言うんだ。
そこで講釈たれの文吉が、あることないこと言い出す。あ、遡ってどんぶり崇めてるの文吉ってことで。
最初は貴重などんぶりを、そそっかしい文吉が酔いどれた手からぽろっと落ちて割っちまったのが始まり。
怒鳴るカカア。私の嫁入り道具をどうとかとか、末代までの恥とか、だからお前さんは私を愛してくれない、実家に帰らせていただきます。
え?!帰る!!
慌てた文吉、ぬかに手をついて許してくれー酒はもう飲まない、どんぶりを大切にするから
などと言ったが、結局およね(妻の名)は出て行ってしまう。
悲嘆に暮れた文吉。食うも飲むも出来ない。
三日三晩飲まず食わずでいると、気が遠くなってくる。わんわん泣く。
おっかーー
ふと見るとそこには割れた茶碗が、
どんぶりじゃなかったんで?
すまん、どんぶりだった。そのどんぶりで甕の中の水をすくってがぶりと飲むと気持ちの良い事。
すいません、何時まで続くんですか。
心機一転、心を入れ替えた文吉はカカア帰ってきてくれと、喧嘩の原因になったどんぶりに
手を合わせるようになる。
その話を聞いた熊吉という男、こいつも女房に愛想つかされて逃げられた。
いたく感動してどんぶりに一緒に手を合わせるようになる。
熊吉「こうして、ただのどんぶりでも手を合わせていると、なんだかオッカアが帰って来るような気がするねえ」
そうこうするうちに、祈る内容もどんどん増えていって、
例えば、仕事がうまくいけだの、夫婦仲が良くなりますようにだの、
そのうわさを聞きつけて、
どんぶりの中に賽銭を入れるもの
文吉や熊吉の講釈をワザワザ聞きに来るもの、その講釈代や手土産なんか持ってくる奴が出てくる。
ふんふん。
でな、文吉は大僧正様、熊吉は第一使途と担がれて・・・
・・・適当だなぁ・・・
ある日、旦那に先立たれたおみつという偉く可愛い人が来る。
どんぶりをみて、つつと涙を流す。どんなに仲むつまじくても夫婦、親子、家族、友人知人には別れが来る。
それをこの茶碗じゃない、どんぶりの欠け具合が表しているのですね。
分かる。分かるその気持ち、と文七、じゃない文吉が手を取り合ってそうですそうですと意気投合。
欠けたどんぶりはカカアの帰りを待つ象徴から、人間愛の尊さとせつなさを問う事になる。
事業拡大って奴だな。
お客さんたちに茶を出したり、世話をするのがこのおみつの仕事になってきた。
男ってがさつだからね。細かいところには目がいかない。
女性客の相手をするのも主におみつよ。
おみつが参加した事により、どんぶり様の意味も、今まで男ばかりだった客層も女性、老若と広がってくる。
そうこうするうちに、うちでもどんぶり様に手を合わせたいと言うと東兵というのが出てくる。
そこで、客の中に、轆轤回せる奴がいるってワケで、そいつに似たようなどんぶりを作らせる。
だが、同じように割らなきゃいけないってんで、
文吉の家の中を、おみつをカカア役に見立てて、どんぶりを割った時と同じ状況にすることにした。
先ず、文吉がお参り客からの差し入れの酒をぐいぐい飲む。
ふらふらしてきたところで、うまい具合に身体を捻り、箪笥の角にガツンと茶碗
どんぶり
そう、どんぶりを割る。
怒鳴るおみつ。私の嫁入り道具をどうとかとか、末代までの恥とか、だからお前さんは私を愛してくれない、実家に帰らせていただきます。
と、
え?おまえおれのカカアだったの?
しまった、お前の気持ちを気付かずに。
あ・・・
A、はて前のカカア、およねはどうしたっけ。
B、あ、俺死んじまってたんだ。
おい、熊吉!
どうした文きっつあん。
どうやらおれは死んじまっているし、おみつを嫁にしようとも思っている。
しかし、およねがどうしているか心配だ。おいらの魂が極楽行っちまう前にちょっとみてきてくれ。
極楽行くつもりかよ。
熊吉はおよねの実家に行って、およねに事の次第を話すと、
およねは般若か鬼か死神のような形相で文吉の家にやって来る。
戸をガラァ!!
胆を抜かした文吉「おい、おみつ、どうやら俺は地獄行きだ」